ムーミン問題なんだけど、意外と重要かもね。

 ちょっと気になっていた「ムーミン谷=フィンランド」問題について。

 実は、昔からムーミンキャラの中ではスナフキンが好きで、今でもスナフキンの絵のついた文庫本カバーを愛用している(amazonで買った)。


有難いことに、下記の記事に見事にまとめられているので、参照させて頂いた。
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あままこのブログ
役に立たないことだけを書く。
2018-01-15
ムーミン問題は良問か悪問か論争まとめ
http://amamako.hateblo.jp/entry/2018/01/15/231831
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では、自分なりに少々。

1、問題点はどこにあるのか?

 ムーミン問題を肯定する考え方に共通するの論点は、

A 教科書的知識とその応用で解ける。

B ファクトを無視している。

 ザックリ言うと、この2点。肯定する人たちは、Bを無視してAのみでこの設問を肯定している。

 一方、否定する人たちは、Bの点について問題提起している。

 ここを整理せずに、二つのディメンションを混同して論じ合っても、議論はかみ合わない。これはしばしば見られることで、いつまでたっても「議論」にならない。


2、設問として解答可能か?

 設問の「正解」を導くだけなら、肯定する人々が言うように、絵に描かれている「バイキング」「船」「平地」「木」といった情報および言語の性質から考えればいい。その限りにおいて、この設問は解答可能であり、特に問題はないようだ。地理Bで出題されているのであって、アニメの知識を聞く設問ではないからだ。

 従って、高校教育を受け大学に入学するだけの思考力があるかどうかを問う設問としては、その限りでは「良問」と言えよう。


3、では、何が問題か?

 やはり、ムーミンの舞台であるムーミン谷はフィンランドを舞台にしているという明確な設定がなく、あくまでも架空の世界だということ。
 これはムーミンというストーリーの世界観に係わる問題だ。

 ファンタジーをふくめ、創作物には大なり小なりこの問題が内在している。昨今のアニメや特撮を見ても、必ずしも「日本を舞台にしている」とはっきり言っていなかったりする。描かれている内容から「日本だろう」と我々が思い込んでいるだけだ。

 というのも、テレビ番組では「実在の人物、団体、事件等とは一切関係ありません」みたいにわざわざ断っているのだから、逆に言うと、「あくまでも架空の世界の創作物です」と言っているわけで、どこまでが「現実」でどこまでが「創作」かの境界線は、極めて曖昧なのである。

 余談だが、ガールズ&パンツァー劇場版に出てくる継続高校のキャラクターはムーミンをモチーフにしているので、継続高校→継続戦争→フィンランドであるという考え方がある。ジョークとしては座布団一枚レベルに面白い。しかし、これこそガルパンという創作物の中での設定であって、ガルパンの世界観でそうとらえているだけでしかない。テストなんて正解を当てればいいだけなので、これで正解できた受験生は、それはそれでラッキーだったとは思うけど・・・。

 つまり、創作物の世界を現実の世界に一致させること自体に無理があり、明確な設定として物語中に存在しない限り、或いは、裏設定としても作者自身の明言が無い限り、現実の特定の国なり地域なりを「舞台にしている」とは断言できないのだ。

 ムーミン問題の何が問題かというと、

(1)創作物と現実世界を無理に結びつけたこと。

(2)現実のアニメ作品と大学入試問題という座学を無理に結びつけたこと。

この2点である。座学において例示を安易に用いたため、これが牽強付会の説になってしまったと言える。

 推測するに、作問者は、出題に用いたアニメ作品に対する理解が不十分だったのだろう。ムーミンという作品を十分知った上での出題ではなかったのだ。せめてその方面の「専門家」に取材すべきであるが、そのような労も惜しんだのではないか。
 要するに、作問者は、世俗的なイメージと思い込みだけで「ムーミン」=「フィンランド」と決めつけてしまっていたのではないか、ということだ。

 往々にして、象牙の塔の座学においては、ファクトを無視して自分たちのイメージだけで現実を語りがちである。辛辣な言い方をすると、作問者は自分自身がそういった「頭でっかち」であるとの自覚もなく、「学校で学んだことと現実世界を結びつけられるかどうか受験生に聞いてやろう」と思ったのではないか。そして、見事に撃沈したという次第である。


4、だったら、作問者はどうすればよかったのか?

 簡単に言うと、アニメ作品を持ち出さずにオリジナルの絵とキャラクターで聞けばよかっただけだ。ムーミンの代わりに、カンサッリスプク(フィンランドの民族衣装)を着た人物を描けば良かっただけということ。北欧の民族衣装までおさえている受験生がどれぐらいいるだろう。ムーミンを知らないのと同じぐらい知らないのではないか。興味深い。

 もちろん、作問者がアグレッシブに座学と現実世界とを結びつけようと試みた点は評価できる。今回は肝心なところで脇が甘かったようだ。ただし、このように学際的?な作問を試みるなら、徹底的にファクトを明確にすべきだった。

 ムーミン問題を良問であると評価する人々は、思考力を問う点のみ注目してしまい、学校教育や試験における「事実」の扱い方の問題にまで考えが及ばなかったのだろう。
 教育の根幹には「事実」がなくてはならない。でないと、酷い場合、教師の思想や願望や思い込みを学生・生徒に押しつけ、さらに酷い場合は自分の思想を洗脳することになってしまう。

 ムーミン問題をロジカルシンキングの問題であるとすること自体は正しい理解だろう。しかし、ファクトを無視したロジカルシンキングは「正しい」結論を導き出せるだろうか? 教育の目的は、学生・生徒が自分で考える力を身につけるようにすることである。だからこそ、ファクトをいい加減に扱ってはならない。


 ムーミン問題は、はからずも日本の教育に内在する根本的な問題を顕在化してくれたのかもしれない。
 日本の教育における最大の問題は、無目的な座学に堕して、現実社会との乖離がみられることである。大学は入学までが大事で、あとは何となく4年間過ごして卒業していくだけである。世間もそう考えているから、入試偏差値と大学名のブランドだけで人物を判断する。だから、大学で何を学んだかは関係なく、学生達は就職試験対策を行い、専攻とはあまり関係なく就職先を選ぶことになる。専攻と就職先が一致する学生は幸せである。大学まで出て専門知識を学んだのに、それをその後の人生に活かせないのは、あまりにも勿体ない。それって今の日本が停滞している一因かもって思うのは大げさだろうか。