「暴行殺人」と「いじめ」と「安全保障」の集団力学  -ちゃんこ料理店での「殺人」事件から思ったこと-

動機は「締めの雑炊、作り方気にくわなかった」容疑者の男が供述…謝罪の被害者に2時間半暴行か
http://www.sankei.com/west/news/171231/wst1712310011-n1.html
産経新聞 2017.12.31 05:05


「盛りつけ悪い」と暴行、経営者死亡…2人逮捕
正座した状態で頭から血を流していた
http://toyokeizai.net/articles/-/203237
東洋経済(読売新聞) 2017年12月29日


上記をふくめいくつかの報道を見た限りでの感想なのだけど、これってすぐに警察を呼べば死なずに済んだのでは?って思った。
 このあたりを考えてみたい。以下、あくまでも仮説(思っただけ)。

 この事件の登場人物だけど、

X:加害者     傷害致死というより殺害の犯人たち
Y:積極的加担者  一緒に来ていた仲間の客。特に、警察を呼ばないように言った者。
Z:傍観者     いわば消極的加担者。何も出来なかった従業員。あるいは他の客。
A:被害者     お亡くなりになった被害者
B:制止者     今回の場合は、警察
(XYZABは微妙な表現の違いによる誤解を避けるための記号)

と考えると、X:クレーマーが殺人鬼になったのは、当人達の凶悪性が根本にあるのは確かだろうけど、B:警察を呼ばないように求めた仲間(Y:積極的加担者)の存在が大きいだろう。従業員等はそのためなにもしない(できない)Z:傍観者になってしまい、B:制止者としての役割を担えなかった。そして、強力なB:制止者である警察がすぐに来ないことがわかり、さらに、A:被害者が全くの無抵抗であることから、X:殺人者は安心して?暴行を継続し、事態がエスカレートしたのではないか。
 もし、A:被害者が抵抗の意志を示していたら、或いは、B:警察がすぐに駆けつけていたら、最悪の事態は避けられたかもしれない。そのためには、まず従業員が何が何でもすぐにB:警察を呼ぶべきであった。それをしなかったので、B:制止者からZ:傍観者へと役割が変わってしまった。要するに味方が無力化・無能化したということだ。もちろん、警察を呼ぶのは他の客でもいいはずだが、こういう場合、関係の度合いが低く、面倒には巻き込まれたくないので、「自分は関係ない」と自己定義し「誰かが呼ぶだろう」と「無関心」を装うことになり、結局役に立たない。


 こう考えて、いわゆる「いじめ」も「侵略」も本質的に同じだなとわかる。
まず「いじめ」の場合。「いじめ」については定義の問題もあるが、ここでは一応置いておく。

X:いじめる側
Y:いじめに味方する者
Z:傍観者(消極的加担者)
A:被害者(標的)
B:制止者

 Xは実行犯だし、Yは共犯と言える。「いじめ」の状況にもよるが、Xは警察につきだすべきだし、Yの一部も罪状が問われるべきであろう。
 問題は。Zが多くて、Bが皆無な場合である。Bの立場を鮮明にすると、今度は自分がA:標的にされる恐れがある。だから、容易にZに変質する。Bには教師も入るはずだが、事件化した「いじめ」の報道を見る限り、全く無能である。現実を見ないで目をつぶってしまい、事実上のZに成り下がっている。教師に「こいつらが卒業するまで我慢すればいい」なんて意識があるのだろう。
 XとYの加害をエスカレートさせないためには、Zを減らしBにすることである。
 Aが身を捨てて抵抗し、事件を大きくしてしまうのも一つだろう。社会問題化すれば、教師はのんびりZを決め込むことができなくなる。しかし、その最悪の事態が、A:被害者の自殺であるから、被害者の失うものは大きすぎる。かといって、被害者側が加害者側を傷つけると、「加害-被害」関係が逆転して、ますます問題がこじれ、真実が隠蔽される危険がある。
 ZでいるよりBになることのほうがメリットになるような方策をぜひ考えたい。


 「いじめ」だけでなく国家間の軍事侵略も同じ構図だとわかる。

X:侵略国
Y:侵略加担国
Z:傍観国
A:被侵略国
B:支援国

 日本の場合、X:侵略国になることはまずあり得ない。今、一番ありうるのはA:侵略被害国になることだ。

 日本が侵略された場合、多くの国はZ:傍観国を決め込むだろう。B:救援国となり得るのは、第一にアメリカ合衆国だが、どんな動きをとるかは未知数である。当のアメリカが中国との直接対決を回避しようとするからだ。上手くするとインドとベトナムが中国の背後を突くことになる。すると次に重要なのがモンゴルであり、おそらくトリックスターを演じようとするのがロシアである。
 個別的自衛権というのは、侵略があった場合、A:被侵略国が抵抗する権利をもっているということで、こんなの当たり前である。正当防衛そのものなので論じるまでもない。
 集団的自衛権とは、B:支援国に積極的な関与を求めることである。現実には日米安保が存在し、単独の自衛権行使は無理であるから、個別的か集団的かなんて議論は無意味である。ましてや憲法第9条が日本を守ったなんて妄想はナンセンスで、敗戦後の日本が戦争に巻き込まれなかったのは、日米安保であり米国側に課せられた片面的義務である。
 もし個別的自衛権しか認めないのなら、核を保有する軍事大国にたいする抑止力が必要となるので、日本も核武装し軍事大国化するしかなくなる。自衛隊の根拠を憲法第13条に求める珍解釈をとるにしても、現実的必要性から目をそむけることはできないので、実は軍事力増強の根拠ともなり得るのである。だから、実は日米安保はコストパフォーマンスのよい安全保障といえるかもしれない。
 もし、憲法第9条を厳格に守って、軍事力を放棄し無抵抗をつらぬくとしたら、自分たちはどんなに蹂躙されても構わないというメッセージを敵に送ることになり、その上、支援国がないということで、X:侵略国は安心して?日本人を陵辱できるということである。無抵抗で警察を呼ばない被害者を暴行しつづけるのと同じである。非武装無抵抗は侵略をエスカレートさせるだけだ。強姦魔は相手が無抵抗だとわかれば大喜びで犯し続けるだろう。

 集団的自衛権で問題になるのは、現行の片面的義務を双務的にする場合であろう。先の安保改定はここを少し増やしただけである。困ったことに、B:支援国として一番頼りになるアメリカがあちこちの戦争に首を突っ込むものだから、日本もうっかりすると、Y:侵略加担国になりかねない。そうならないようにする(アメリカおよび世界に対する)言い訳として憲法第9条は有効活用できるのだが、いつまで通用するかはわからないし、湾岸戦争の時の例でわかるように、どんなに多額でも、金しか出さないというのは軽蔑されこそすれ尊敬はされない。

 Xの最有力候補である中国はますます力をつけるが、Bとして頼みのアメリカが弱体化している現状、日本の振る舞い方は非常に難しい。
 だから、防衛問題について国会で真面目にきちんと議論してほしい。


その他、「ブラック企業」も同じだろうし、不合理な慣習もこの図式で説明可能かもと思えてきた。