読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

いまの大学ってやっぱりいらなくない?

 安倍首相が高等教育の無償化なるものをうちだしました。
 でも、無償化しても大学がアレでは、若者に無駄な時間を過ごさせるだけでしょう。というか、学校への補助なんて一切不要だと思うんです。むしろ文科省の役人が天下りするために補助があるんじゃないですかね。

 はっきり言って、特に文系の大学で何を身につけます? 資格試験を受けるための予備校として大学を使うならまだましですが、何となくかよって何となくバイトしてサークルやって、とにかく就活してって、それだけでしょう。単位は取らないといけないし出席もとられるから講義にはでるけど、内容は聞かず考えずに寝てるか、その後の語学の予習をするかでしょ。真剣に学ぶ学生はごく一部だけですよ。卒業後も有名大学なら大学名が飾りになるけど、そうじゃなければ何の意味もないのでは?

 とはいえ、文系や教養系も研究機関は必要だから、旧帝大をはじめとする一部の国立大とごく一部の私大の大学院と学部は残すとして、あとは放送大学で十分。もちろん短大なんてあっても無意味なので全廃。やってることは効率の悪い専門学校程度なのだから。今でも文系大卒資格は、放送大学で働きながら得られます。全国の通信課程はここに集約すればいい。
 文系や教養系をどうしても学びたい人はまず放送大学で学び、やたら優秀な人やどうしてももっと深く学びたい人が大学院や研究機関に行けばいい。あとはカルチャーセンターで十分。ただし、学問の最高レベルを維持するため、究極のカルチャーセンターであるコレージュ・ド・フランスのような機関をつくるといい。
 MBAをとるためのビジネススクールは経営系の大学院として存在すれば十分で、ロースクールは廃止して構わない。ローは存在自体が無意味(司法試験に通ってないような大学教授がなんちゃって弁護士になってるんで国民は要注意)。あとは資格系なら放送大学とか専門学校とか職業高校に任せれば十分。

 教職課程も無駄なので全廃。大卒資格以上をもっていて、教員資格試験(仮)をとれば十分でしょう。

 理系大学ならまだ存在価値があるので、存続しても意味があるでしょう。でも、再編は必要ですよ。
 まず、医学部、歯学部、薬学部、看護学部は地域ごとの医療システムとの関係から再編が必要でしょう。いまの健康保険制度だと、医療関係者って7割は公務員なんだから、もっと地域医療に密着する形で制度全体を再編成し、医学部なんかもそれに合わせて再編すれば良いのでは?

 その他の理系も再編する必要があるだろうけど、大学院、大学(学部)、高専や理数系高校(工業高校)をきちんと並べて、段階的にレベルアップできるようにするといい。

 すると、高校も普通科高校ばかり作ってないで、かつていっぱいあったように、工業高校、商業高校、農業高校を復活させて、職業教育を施すほうが意味がある。今なら、情報高校を作ってプログラミング技術を徹底的に習得させる方が、普通科高校で古典文法とか漢文なんて無駄なものを無理矢理暗記させられるより、よっぽど本人のためになる。つまり、高校も再編して、8割方の高校を職業訓練高校にすればいい。その中で優秀さを示すものには大学進学の道を開くようにするんです。

 

 したがって、教育の補助は学校に対してではなく、優秀さを示す個人に与えるようにするといいと思います。

 いまはかつて以上に東大崇拝が進行しており、受験偏差値信仰が悪化しているように思います。特に、「高学歴」の意味が変わってきたことからも解ります。
 勿論、東大京大や早慶は昔からブランドでしたし、それぞれ上位の大学に対するコンプレックスはあったでしょう。でも。その一方で、年配の方々は自分の大学に誇りをお持ちのようで、あまり卑屈さはかんじません。まぁ大学に行ったこと自体が高学歴だった時代でしたから。一方、私の接した限りですが、若い世代の方がブランドコンプレックスがかなり強く、中には本当に卑屈になっているとしか思えない言動もみられます。これは社会的な害悪です。

 これからは、どの大学を出たかではなく、どんな奨学金を得たかという「奨学金歴」で判断するといいのではないかと思います。もちろん奨学金にもランクがあり、上位ランクの奨学金を得られたら、好きな大学を選べるようにします。無理に東大に行かなくても、奨学金ブランドで評価されるようにすればいいと思います。

 大学名での評価はシグナリング効果としては不備がありすぎます。文系を例にとりましょう。たとえば、どうしても法律を学びたい人が東大文Ⅰを受けたけど落ち、早慶の法もぎりぎり落ちて、明治の法に合格して進学した場合、この人は今ではMARCHでくくられてしまいます。でも、この人が東大文Ⅲを受けた場合、早慶の別の学部を受けた場合、合格した可能性は十分あり得ます。おそらく明治でも優秀な学生として勉学に励むことでしょう。でも、ブランドはMARCH。

 また、世代間の違いもあります。今の少子化20代でぎりぎり東大に合格した人と、団塊ジュニア40代でMARCHの上位の人とでは、どちらが優秀と言えるでしょうか。世代のボリュームが違います。また、同じ東大でも昭和の東大と平成の東大では全く違うなんて言う人もいるぐらいです。70年代後半から80年代だと、地方の国立大よりも東京の私大を目指しましたし、早慶上智、そして青山や中央の一部の学部に受かった場合、旧帝大の北大や九大を含め地方国立大に受かっても、都内の私大に進学しました。この世代の方々だと、阪大名大は別格としても、それ以外の地方の国立大には関心を示さない方々が結構いるようです。

 現在は、偏差値序列化が進んで大学間の格差がはっきり見える一方で、AO入試が盛んになり優劣をつけにくくなったぶん、逆に大学間のブランド格差を強調するようになったのかもしれません。

 その点、奨学金実績があれば、別に東大ではなくても自分で選んだのだと理解されれば、十分評価されることでしょう。

 なんだか新たな利権を生み出すだけのイヤな予感がしますが、現状の教育制度が今や無意味化している点は放置できません。ですから、現状を前提とした、安倍さんの教育無償化は害悪でしかないといえます。ましてや、憲法に盛り込むことではありません。