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自分が死ぬときのこと - 介護という「無理」と「無駄」

 ちょっと酷いサブタイトルでしたか。本当は、タイトルとサブタイトルが逆だったのですが、これにしました。他人様のことではなく、自分について言いたかったからです。

 今日の日中、NHKの番組を見て、自分の老後、それも死ぬ時ってどうなんだろうなぁって思ったんです。金のない下流老人となりまともに生活できないで飢え死にする、かも。でなければ、身寄りがなく、人知れずぽっくり逝って、偶然誰かに発見される、かも。あるいは、ボケがひどく、介護施設に入れられて、寝たきりになっている、かも。でなければ、なにもかも失って彷徨し野垂れ死ぬ、かも。いずれにせよ、なんだかやだなぁって思います。

 以前は死ぬのがコワかったのですが、今は死ぬことそれ自体は何となく既定路線としてどうあがいても必ず来ることなので、それはそれでありなのだろうと思うのです。それより、結局、老後も最期も誰かに迷惑をかけざるを得ないことがイヤなんです。
 かといって、人知れずどこかで自殺するというのもイヤだし、そもそもコワいのとかイタいのとかご免だし。

 もちろん生きている限り生き続けますが、最期が見苦しいというか、晩節を汚すというか、そこをどうにかして、きれいに上手く終わりたいと願っているんです。あとのことはどうでもいいです。骨になったら海にでも放り投げてもらって構いません。墓もいりません。遅かれ早かれ、そんなもの訳わからなくなるんですから。

 そこで思いました。寝たきりになってボケていつも意識朦朧として自分のことを自分でできなくなったら、寝たまま、まるで寝ているかのように死なせて欲しいなぁって。
 そのためには、お医者さんの協力が必要です。でも、たとえ本人が望んでも今の法制度では無理でしょう。もし情にほだされて実行してくれたとしても、今度はそのお医者さんが法で裁かれることになります。

 ですから、生命維持活動のみで精神活動の不可能になった段階で、静かに死なせてもらえるのを認める法律をつくって欲しいと思います。

 もちろんイヤな人は今のままでいい。でも本人が、まだ意識のはっきりしているうちに強く望んだなら、その意志は尊重して欲しいのです。

 死ぬことより、要介護の寝たきり老人になることを恐れる今日この頃です。