はっきり言って、加計問題ってどうでもいいんですけど

国会で加計加計って民進党とマスコミがいきりたってるけど、あんなのはっきり言って国民にとってはどうでもいいことだと思うんです。
そんなことばっかりやってるから、民進党は人気をなくすんじゃないですかね。安倍内閣の足を引っ張る嫌がらせみたいなことばっかりで、国政自体への批判なんて全然できてないじゃないですか。
むしろ党首の二重国籍問題の方が法的によっぽど問題なわけですし。なんでこっちを国会やワイドショーで取り上げないんでしょう。

民進党が今から人気を回復したいなら、現党首がさっさと議員辞職して、執行部を立て直し、国民の関心をきちんとサーチして、例えば

・正規・非正規雇用差別禁止法案

・長時間(1日8時間以上)労働禁止法案

・通勤時間を労働時間に組み込む法案

・満員電車禁止法案

・遅刻許容法案

・昼寝促進法案

・パチンコ禁止法案

・飲み会強要禁止法案

・歩きたばこ厳罰法案

・歩きスマホ禁止法案

・性差別・年齢差別禁止法案

最低賃金倍増法案

・資産課税法案

なんてのを出して論戦を繰り広げてほしいと思います。

「弱者」認定を受けると強者になれる

 まずは、女性専用車両。これって、女性=弱者 って図式ですよね。でもって、こんなふうに、女性をいつまでも弱者扱いしているってのは、女性差別の裏返しだよねって思うわけです。でも、女性の側から差別だと訴える声は聞こえません。まぁ、弱者扱いされていると居心地がいいですから。

 その一方で、女性専用車両があるのにそれを使わず、一般車両に乗っておいて、それも混んでいるときにですよ、それでいて気に入らないと痴漢呼ばわりって、自分勝手でしょう。よっぽど露骨な猥褻行為でなければ、触れてしまった程度なら、当然、混んだ車内では受忍限度の範囲内でしょう。

 最近、男性専用車両なんて案があるようですが、むしろ逆で、女性のみの一般車両への乗車を禁止すべきだと思います。すでに弱者として優遇されているのですから、女性の身勝手を許すべきではありません。

 

 それと関連して、バニラエアの件。やはり最初に朝日新聞を見たため、ひでぇ話だなぁと思ってしまいました。でも、角度なしには伝えない朝日です。案の定、「被害者」の素性も見えてきましたし、単純に良い悪いの話ではないことが解ります。そして、ネットでは「被害者」の問題点を指摘する書き込みもあれば擁護する書き込みもある。これは言論の自由が健全に作用している証拠です。もし朝日みたいな報道だけで、航空会社が一方的に悪者にされたら、真実がゆがみます。でも、世の大勢は「被害者」に同情することでしょう。もしろん障害をお持ちの方が大変なのは解ります。だから、福祉関連の法律があるわけです。

 

 でもって、今、一番の本当の弱者はというと、低所得でちょいハゲでブサメンの孤独なオッサンということになり、自分も当てはまるようなイヤな予感がするのですが、なぜか全く福祉や保護の対象とはならないため、弱者とは見なされません。むしろ淘汰しようとする圧力すら感じます。明らかに弾圧です。人権侵害です。地味に黙々と働くオッサンこそ、日本経済の基盤だというのに。

 

 やはり、最も効果的なのは、「弱者」となり「はれもの」になることです。しかし、どうやる??。「悪者」になったらアウトです。世間の同情はかえません。かといって「病気」「障害」を意図的に演じるのは悪質です。卑怯です。

 

 まず、痴漢えん罪で言えば、あと何百人も、我が同胞諸氏には無実の罪で犠牲になってもらう必要があるでしょう。昨今、痴漢えん罪で逃走し亡くなる方が何人もいます。にもかかわらず、本格的に対策をとろうとする動きは見られません。犠牲者が増加し、社会問題にならないと「弱者」認定はされません。朝日や毎日に同情される必要があります。

 

 ただし、注意すべき点は、あくまでも「弱者」に徹するということです。今一番心配なのは、痴漢えん罪が蔓延して、破滅的な破壊衝動が相手に向いてしまうことです。痴漢事件では、被害を訴える女性の証言のみで「犯人」と認定されます。真犯人はゆうゆうと逃げおせても警察はお構いなしで、「犯人」とされた人が自白を強要され、人生何もかも崩壊してしまいます。その一方で、日本では人一人殺したぐらいではそう簡単に死刑になりません。そこで、どうせ人生終わるならと、衝動的な怒りが濡れ衣を着せた女性に向き、相手の女性をボコボコにしてしまうような自制心のない行動が今後頻発しないかと心配でなりません。でも、暴力を振るったら「弱者」にはなれません。

 

 そう思うと、バニラエアの件、あのみっともないやり方が見事に「はれもの」パフォーマンスとして功を奏しているといわざるを得ません。

 低所得でハゲでブサメンの孤独なオッサンもあれを見習うべきです。そこにチビとデブとビン底眼鏡と体臭が加わってフルコンボで、世の女性から毛嫌いされる同胞も少なからずいることでしょう。でも、オッサンは日々真面目に生きているだけなんです。それなのに、存在するだけで嫌われ、すぐに疑われるのです。何の罪もないのに、あのGと同じに見なされています。

 

 どうせ毛嫌いされているなら、変に世間にこびてむなしい努力をするのではなく、開き直って、みっともないことを承知で、暴力的にはならず「弱者」を演じ「はれもの」となり、身の安全と生存権を獲得しましょう。

 さて、その実践方法は・・・・・。それが問題です。

みんな無口、それでいて暴力的

 日本人は静かで温和。そんなイメージがあるようです。ネットを見ますと「日本大好き外国人」の皆様がご自身の体験からそのように言ってくれてます。そして、日本人自身そんな自画像を思い描いているのかもしれません。

 しかし、電車に乗り、駅や街を歩いていると、それとは全く逆の状況に遭遇します。確かに、静かといえば静かなんですが・・・・。

 電車が少し混んでいる時、降りようとする人は声をかけて降りるのではなく、平然と人にぶつかって、全く謝りもせずさっさと降りて行きます。ひどい人になると、体の大きさに物を言わせて、立っている人を突き飛ばし、どかしておりていきます。突き飛ばされた人は一瞬何が起こったのか分からないのでしょう。反撃するまもなく、相手はいなくなってしまいます。
 ある時、武蔵浦和駅という大量に乗り降りする駅で、車両の中程から、体の大きな男たちにガンガン押されて、ついに車両から突き飛ばされるように出てきた女子学生を見ました。痴漢とは違う暴力以外の何者でもありません。

 一言「すみません、降ります」「ごめんなさい、後ろを通ります」と言えばいいだけの話のはずです。最近は、この「すみません」「ごめんなさい」という簡単な挨拶言葉があまり聞かれません。「謝ったら死ぬ病」にでもかかっているのでしょうか。

 ある時、山手線でベビーカーを押した若いお母さんが乗り込んできました。気づいた人は場所を空けたりしてやりましたが、気づかない人もいます。ここで「すみません」と一言言えばいいものを、その母親は(何で気付かないんだ)と言わんばかりのイラッとした顔をして、しばらく立ち止まった後、ベビーカーをその人の足にぶつけて通りました。何かと嫌われるベビーカーですが、ベビーカーそのものの是非よりも、押している人間の態度に問題があるのではないかと思いました。「すみません」「端に行かせて下さい」とひとこと言い、ニコッと笑顔で「ありがとうございます」と言えば、周りの人は喜んで助けるのではないでしょうか。

 ところが、声をかけるにも、相手は耳をふさいでいるため、そうとう大きな声を出さないと通じないという問題があります。その上、目はスマホに夢中で周囲を一顧だにしません。その最悪の醜態がスマホゾンビですね。私はこのことを意識してから、電車内で立っているときはイヤホンで音楽を聴くのをやめ、混んでいるときはスマホを見るのもやめました。
 スマホで目を覆いイヤホンで耳を覆う。これは明らかに周囲とのコミュニケーションを拒絶する態度です。したがって、ぶつかるという物理的接触によってしか、相手に伝える方法がなくなってしまったのです。

 このように言うと「若い世代はコミュニケーションに敏感である」なんてご教示をいただくのですが。これはコミュニケーションの定義が違うのかなと思います。若い世代がLINEやtwitterなどから離れられないのは、コミュニケーションを大切にしていると言うより、狭い所属集団の人間関係に神経をすり減らし、排除されることを恐れてビクビクしているだけに見えてならないのです。そして、複数の小集団がある場合は、それぞれにキャラ作りに必死になっているのではないでしょうか。私が見た範囲では、このような印象を受け、むしろ気を遣いまくっていて気の毒だなぁと思いました。
 若い人に限りませんが、内輪には神経を使う分、外側に無頓着になるのでしょう。でも、突き飛ばした相手が今後どこでどの様につながるかわからないとは思わないのでしょうか。悪い意味での一期一会。どうせ二度と会わない相手などどうでもいいと思っているのかもしれません。

 コミュニケーション能力とは外側の相手や未知の相手や初対面の相手や異質の相手に対応できる力だと思うのです。そして、本来の意味での一期一会を大切にすることが良き出会いを人生にもたらしてくれるように思います。

 日本人が外国からの訪問者に愛想がいいのは、いまだ田舎に残る人の良さもあり、訪問者がその良さに接したという面もあるでしょう。これは本当に良い出会いだと思います。ですが、一方で、訪問客に対するビジネススマイルがかなりあるし、さらには、本当の意味での「つながり」を拒絶し、一時的に関わるだけの外面の良さでもあるでしょう。外来の者に対する警戒心の裏返しです。

 

 言葉をかけようとする気持ちも言葉を受け止めようという気持ちもなくして、自己の殻に閉じこもる陰気な姿。コミュニケーションを拒絶し、コミュニケーションを放棄した人は、相手を思いやる気持ちも失われているのではないでしょうか。
 そのくせ、伝統的?な日本人の特性はなくしていないようです。お互いに察しあうといえば聞こえがいいのですが、自分が察する部分は放棄しているくせに、相手が察することばかりを要求しているだけの、いわば「甘えの構造」が独善的自己中心的に出てしまっているのではありませんか。

 コミュニケーションをとる気もないくせに、目を吊り上げて相手が察するのを待ち、一声かけるの嫌がって、結局は暴力的に他人を突き飛ばす姿。はっきり言って見苦しく醜いです。

鉄道混雑率規制法(仮)を制定すれば、痴漢は撲滅され経済も活性化し世の中が変わるはず

 最近何かと話題になっている痴漢冤罪事件。本当に痴漢をしていたとしたならば、許しがたいことですが、これが冤罪だとしたら、真犯人はのうのうと逃げおおせ、被害者の女性は被害を受けたままであり、犯人呼ばわりされた人は無実の罪を着せられることになります。つまり、誰もが不幸せになり損失しか負わず、それでいて犯罪者のみ得をするというくだらない話になってしまいます。また、女性の勘違いだとしたら、これも無駄な労力を使うことになります。
 もちろん、警察による「痴漢」事案の処理のあり方も問題が多いでしょう。「自白」の強要は違法ですし、かといって、痴漢認定を厳格にしすぎると被害女性が泣き寝入りすることになります。証拠のはっきりしない「犯罪」に巻き込まれて、誰もが正気を失ってしまうのが、痴漢濡れ衣事案だといえるでしょう。本当に無駄で、くだらないことです。

 

 よく言われることですが、やはり諸悪の根源は狂乱の満員電車にあります。これによる消耗は国家的にも社会的にも個人的にも大きな損失です。これを解消すれば、痴漢冤罪事件は激減するはずですし、国民に多大な利益をもたらすのではないでしょうか。


 喫緊の課題は、混雑率を最悪でも150%に、できれば100パーセント程度に緩和することです。そしてその方法は色々考えられているでしょうが、最も簡単なのは混雑率が 一定以上になった場合、違法とするような法律を作ってしまうことです。
 ちょっと考えればわかることですが、5人乗りの乗用車に10人乗ってた場合、もう明らかにぎゅうぎゅうづめですし、おまわりさんに見つかったら必ず怒られます。ところが、電車は200%の混雑率であっても、おまわりさんに止められるという話は聞いたことありません。そこで、電車でも定員以上乗っていたらお巡りさんに止められるようにしてしまえばいいんです。そして、例えば、混雑率が100%を超えた場合、車両一両につき1%あたり1億円の過料を鉄道運行会社が支払うようにするのです。

 

 するとどうなるでしょうか。まずは乗車制限や入場制限が始まります。乗車できない乗客たちは、大騒ぎすることでしょう。阿鼻叫喚は必至です。そこで、長距離通勤や同一時間帯での通勤を減らそうとする動きが出始めるはずです。大都市にオフィスを置く必要のない会社はどんどん大都市から出て行くことでしょう。そうすれば、通勤地獄の解消だけでなく、地方の再活性化にもつながることでしょう。

 こうなると、鉄道会社の収入は激減することでしょう。しかし、そこは値上げをすればいいだけの話ではないでしょうか。さらに言うならば座席と立ち席とで料金を分けたり、乗車距離を積算してマイルと同じようにし、多く利用する人は割引が得られるなんていうのも方法かと思います。こうなれば女性専用車両なんて世にもくだらない愚策は解消できますし、ベビーカーに目をとがらせることもなくなります。座席が有料になれば、席を譲るか譲るまいかという精神的葛藤に悩む必要もなくなります。現在 suicapasmo で乗客の動きはかなり把握できますので、様々なサービスが可能になるはずです。

 長時間通勤がなくなれば自分の時間を大いに有効活用できますし、職場と住宅が近くなることが、むしろ長時間労働を抑制することになるでしょう。うまくすると、子育てにも有効でしょう。少子化の解消にまでつながるかもしれません。

 もはや大都市に人口を集中させる時代ではありません。空間的にも時間的にもほどよく分散するほうが、国全体を活性化させるのではないかと思います。

 これこそ、国会にできることであり、国会のすべきことです。法律を一つ変えるだけで、日本が大きく変わるチャンスがうまれます。さらに特区をどんどん作って、日本人の手枷足枷となっていた規制を緩和していけば、地方の特色もでてくることでしょう。いずれ特区も解消して、様々な既得権や規制をなくせば、人々は生き生きとし始めるのではないでしょうか。


 唐突に話が変わりますが、かつて国民は民主党政権に期待しました。変わりたかったのです。私もそうでした。喜んで民主党候補に投票しました。
 ところが、民主党政権は国をダメにするようなくだらないことばかりして、国民のことを全く考えませんでした。東日本大震災のときに民主党政権だったのは、国民にとって悲劇以外の何者でもありませんでした。民主党政権時代に失ったものの大きさを忘れないからこそ、内政面では0点の安倍政権でも国民から支持され続けるのです。
 民主党政権の記憶がある限り、看板を民進党に変えても、国民は見向きもしないでしょう。その上、国籍問題の怪しい党首を頂いた民進党が国民生活そっちのけで、安倍さんの足を引っ張ることばかりやっています。「森友ガー」なんて国民にとってはどうでもいい話なのです。いい加減、野党は気づくべきです。自分たちは国民から軽蔑され、むしろ嫌悪され、憎悪すら抱かれかねないということを。

 野党が本当に国民生活を第一に考えるなら、日本をだめにすることやどうでもいいことに気勢を上げていないで、鉄道の混雑率を厳しく制限する法律を国会に提出し、実現させてはいかがでしょうか。国民の生活に直結する話となると、自民党も安易に反対できませんし、うまくすると公明党が乗ってくることでしょう。鉄道会社は反対するでしょうが、国民の利益となると露骨に妨害は出来ないでしょう。ただし、官僚や業界によって巧妙な罠を仕掛けられ法案が骨抜きにされないようにしなければなりません。政治家が間抜けなままでは折角の改革も有名無実化し、元の木阿弥になりかねません。

 政権交代を実現させたいなら、くだらない馬鹿騒ぎをするより、こういった地道で真面目な活動を積み上げる方がはるかに近道だと知るべきです。
 国民生活を考えた立法の提案を国会に提出して、国民のことを考えた議論を国会で展開すれば、スポンサーの顔色をうかがいつつもマスメディアも報道するでしょうし、各所で様々な議論が生まれ、ネットも盛り上がり衆知を集めることにもつながります。下手な経済政策より、人の流れが変わることの方が経済を大きく変えることでしょう。

 たった一つのわかりやすい立法が、多くの人が感じているであろう今の閉塞状況を一気に打開する嚆矢となるのです。

 満員電車をよしと思っている国民は誰一人いないでしょうし、反対する人もほとんどいないでしょう。反対する人は、人に濡れ衣を着せて痴漢犯罪を楽しむ薄汚い犯罪者とそのお仲間ということになりますから。

準強姦事件への何とも言えない違和感

 この事件になんかもやもやしていたら、うまくまとめてくれている記事があったので、その記事を元に自分なりに思ったことを書いてみます。「加害者」を擁護するつもりも「被害者」をバッシングするつもりもありません。単純に抱いた疑問と、そこから思ったことです。多くの人が既に語っているのかもしれませんので内容がかぶるのは承知の上ですが、引用部分は明示しますし、それ以外の文章はすべてオリジナルで一切パクリはありません。

さて、最初に引用元の記事です。
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【レイプ告白】「あの夜、なにがあったのか」詩織さんと山口氏 それぞれに聞いた
BuzzFeed Newsは詩織さんと山口敬之氏、双方に取材した。
2017/06/1 11:04
Kazuki Watanabe
渡辺一樹 BuzzFeed News Reporter, Japan

https://www.buzzfeed.com/jp/kazukiwatanabe/20170601?utm_term=.mu1g3AK9za#.ir9q98R3M1
--------------------------------
以下、>> で引用するのは全て上記記事です。2017年6月2日10:00時点のものを確認しました。改行はこちらの都合ですが、内容は一切変えてません。

 

では、まずは、記事の順番にそって思ったことを書いてみます。

>>この一件は「週刊新潮」5月18日号が「準強姦で逮捕状が出ていたが、
>>逮捕直前に警視庁刑事部長がストップをかけた」と最初に報じた。
>>詩織さんは5月29日、検察が山口氏を不起訴にしたことについて、
>>検察審査会に不服を申し立てた。

1、逮捕状は必ず執行されないといけないの?
  それとも、警察の判断で執行しないのもありなの?
2、その判断がありとして、普通はどのレベルのエライ人が判断するの?
 本庁の刑事部長というとかなりエライわけで、その下には課長もいれば警察署長もいて、その人たちも結構エライはず。
 つまり、刑事部長が逮捕状執行の可否を判断するのはイレギュラーなのか、それとも平常運転の範囲内なのかってこと。
3、でも、書類送検はされてるのだから、逮捕状執行の有無はそんなに重大な問題なの?
4、逮捕の有無の違いは、法的には被疑者拘留の可否の違いになるわけだし、起訴されてしまえば被告人勾留は可能ですよね。だとしたら、逮捕の有無というのは「世間的なインパクトの問題」なのだろうけど、マスメディアは逮捕されないと気づかないほど取材能力が低く間抜けだということでは?
5、検察官が不起訴処分にしたのは、証拠不十分だから?それとも、検察官が今はやりの「忖度」をしたから?
6、仮に証拠不十分だとして、それは警察の証拠収集が不十分だったから?
  検察官は独自捜査をしなかったの?それとも、捜査したけど警察以上の証拠は得られなかったの?
7、電車の中で尻を触られたと女性が一方的に言い張るだけで、疑われた男性はいくら否定しても逮捕され有罪にされるのに、なぜかなり証拠があるとみられる準強姦事件では逮捕も起訴もされないの?
  カギは合意の有無?

 記事を数行読んだだけで、こんなに疑問がわきました。

さて、事実関係についても疑問だらけ。
>>山口氏とは、2013年にアメリカで知り合った。山口氏はTBSワシントン支局長、
>>詩織さんはそのときニューヨークの大学に留学中だった。

8、この「知り合った」って、どういう関係?
 面識を得たってこと? 交友関係が始まったってこと? 男女の交際を始めたってこと?
9、一般論として、TBSワシントン支局長は留学生と、面識を持つ、交友関係をもつ、交際するといったことがあるの?ないの?あるとして、どの程度の頻度?

>>詩織さんは、留学から帰国後の2015年3月25日、TBSのワシントン支局に働き口が
>>ないか、山口氏に問い合わせた。山口氏とはアメリカで2度会っただけだったが、
>>その際に「あなたならTBSのワシントン支局であれば、いつでも仕事を紹介する」と
>>言われたことを思い出したからだという。

10、一般論として、学生が2度会ったTBSワシントン支局長に働き口を問い合わせるものなの? 上記9とも関連するけど、仮に多くの留学生がTBSワシントン支局長と面識を得るとして、そのうちどの程度の人が働き口を依頼するものなの?
  現実問題として、日本人留学生は数えるほどしかいないだろうし、その人たちは面識を得て2回会っただけで、就職の紹介を依頼できるの?
11、一般論として、TBSワシントン支局長は留学生に仕事を紹介するということを行うの?それとも、山口氏が個人的にそうしたの?
12、記事中の「あなたなら」というのは、詩織さんが非常に優秀だから? 女性だから? 美人だから? それとも、特別親しい関係だから?

 本当に疑問だらけです。

>>詩織さんは山口氏に呼び出され、2015年4月3日午後8時ごろ、恵比寿の串焼き店で
>>落ち合って食事をした。就職に向けた相談をするためだった。

13、詩織さんの採用って、いわゆる「現地採用」ってやつ?それとも「中途採用」ってやつ? もしかして「新卒一括採用」なの?
14、どの採用枠であれ、関与した社員は個人的に採用対象者と会うものなの?
  山口氏は、採用に関して社命で動いたの? それとも、私的に会ったの?
15、真面目な採用なら、なぜ夜になって串焼き屋で会ったの?


>>山口氏が「店を予約してあるから、移動しよう」と誘ったため、2人は午後9時40分
>>ごろ、鮨店に移動した。山口氏は詩織さんに「一緒に働きたいと思っていた」などと
>>伝えたという。

16、世間的に、例えばヘッドハンティングする場合、採用する側が採用対象者を料亭等で接待することはあるだろうけど、串焼き屋→鮨屋(予約)って流れはありなの?
  ヘッドハンティングとはいかないまでも、詩織さんってワシントン支局長が接待するほどの優秀な人材なの? だとしたら、なんらかの実績があると思うのだけど?

 と思ったら、その後でメールが引用されてました。引用の引用です。

>>詩織さんは2015年4月18日午後8時36分、山口氏宛に次のようなメールを送った。
>>  山口さん。
>>  今回山口さんと帰国した際にお会いしたのは新規のプロデューサーとして採用、
>>   ないしフリーとして契約をしたいので残りの問題のVISAの話をしようとお誘い
>>  いただいたからですよね。

 フリーなら解りますが、「新規のプロデューサー」ってところでなんか引っかかりました。

 詩織さんが「記憶をなくしてから」後の出来事は、客観的証拠による判断は不可能でしょうね。勿論、証言や防犯ビデオや車載ビデオの記録は入手可能でしょうけど、ホテルに入ってからはほとんど証拠は残ってないでしょう。
 そんなわけで、この後の記事内容には疑問を持ちませんでした。もはや証拠のない水掛け論でしかないからです。
 記憶をなくしてからの記事内容を見てみます。

>>詩織さんはタクシー運転手を見つけ出し、話を聞いた。その聞き取りの際、
>>一緒にいた友人(37)は、BuzzFeed Newsにこう証言する。
>>「運転手さんの話だと、詩織さんは何度か『近くの駅で降ろしてください』と言っ
>>ていた。ところが、山口氏が『何もしない。仕事の話をしよう』と言って、港区内の
>>ホテルに向かうように指示したそうです。詩織さんはタクシー内で、最初は話をして
>>いましたが、ホテルに着いたときには一人ではタクシーから降りられない状況だった
>>といいます」

 詩織さんには記憶がなくても「話をしていた」状態があったわけですし、山口氏が性行為に及んだ段階で「女性の心神喪失・抗拒不能」を立証するのは困難でしょう。
 したがって、これも引用の引用ですが、山口氏からのメールにある

>>  その後あなたは唐突にトイレに立って、戻ってきて私の寝ていたベッドに
>>  入ってきました。その時はあなたは「飲み過ぎちゃった」などと普通に話を
>>  していました。だから、意識不明のあなたに私が勝手に行為に及んだという
>>  のは全く事実と違います。私もそこそこ酔っていたところへ、あなたのような
>>  素敵な女性が半裸でベッドに入ってきて、そういうことになってしまった。
>>  お互いに反省するところはあると思うけれども、一方的に非難されるのは全く
>>  納得できません。

という内容を否定するだけの証拠をそろえるのは捜査側にはかなり無理があると思います。

 あとは山口氏の「自白」のみに頼ることになります。証拠の女王と言われる自白ですが、痴漢えん罪の元凶でもあり、民主主義社会にあってはならないことです。仮に取り調べ段階で山口氏が「自白」したとして、裁判段階で自白は強要されたと証言した場合、客観的証拠がない以上、裁判所も有罪とは判断できないでしょう。万が一仮に、第一審でいい加減な裁判官がいい加減に情緒的に有罪判決を下しても、第二審ではひっくり返されるでしょう。

 お酒の強い人が今回に限り記憶をなくし嘔吐したとなると、警察は薬物混入も疑って「被害者」の尿検査や血液検査も行ったのではありませんか? これは「被害者」が同意すれば可能ですから、行わない理由がありません。告訴の時期が記事からは解りませんので何とも言えませんが、多分その証拠はなかったのでしょう。あったなら、検察官の動きも違ってくるはずです。

 こう考えると、社会的にインパクトのある「逮捕」を行って、裁判で無罪になった場合、警察の失点はかなり大きくなります。マスコミはここぞとばかり大騒ぎ馬鹿騒ぎすることでしょう。
 逮捕状を執行しなかったのは刑事部長がマスコミに配慮した「忖度」の問題というより、むしろ組織防衛の観点から現場を止めた可能性も十分考えられます。

 詩織さんが検察審査会に不服申し立てをしたのは当然の権利ですし、メディアに登場すること自体はご本人の判断なので、その是非は他人が論評できることではありません。


 でもって、私の中の根本的なもやもやなんですが、そもそも詩織さんが美しい女性だからだろうなって思うわけです。全ての出発点はここでしょう。これが男だったら?不細工だったら?って思うわけです。この後の話はありえたのかなって。

 ですから、一般論として言えると思うのですが、「会いたい」なんて伝えて、夜串焼き屋で会って鮨屋まで予約していて・・・・って、男の方は「やる」気まんまんですよ。山口氏を弁護するつもりはさらさらありません。近寄ってきた美人に手を出したのは明らかです。

 それにしても、ここまで条件がそろっていても、女性は純粋な就職の話だと思うのでしょうかね。これはどう見ても男女のデートでしょう。それでも純粋に相談したかっただけだなんて、いくら若い女性だとはいえ、ナイーブすぎませんか?。こう書くと、「被害者バッシング」だと言われかねず、つい腰が引けてしまうのですが、女性の皆さんはどうお考えなのでしょう? その日にすぐとは言わないまでも、こういったデートを設定している段階で、男に「やる」気があるとは考えないのでしょうか? そこであえてデートに応じたとしたら、その後の「リスク」は想定しないのでしょうか?
 ネットの記事か何かで見た覚えがあるのですが、電車の中で男性がバッグを持ち替えただけで痴漢じゃないかと疑う女性が結構いるとか。だとしたら、痴漢はすぐに疑うくせに、こういうケースでは女性は疑わないものだなんてことだとしたら、あまりにも身勝手な理屈だと思うのですが。

 むしろこれは、一般論で語ってはいけないのかもしれませんね。だとしたら、「被害者」女性の場合の個別事例となってしまいますから、社会的問題として一般化できるかどうか。

 このように考えると、本件は逮捕云々の問題ではないでしょう。
 ではどういう問題かというと、まずは、

・社会的地位のある男が就職をエサに若い女性を思い通りにしようとする事案

 これって大なり小なりあるでしょうね。今回はマスコミのエリートさんで、政局もからんで大きな話になったようです。「被害者」女性が野党に利用されないことを願うばかりです。でも、この問題は世の中にたくさんあり、泣き寝入りしている女性が結構いるはずです。今回の「被害者」は美人で高学歴ですので、世の女性の支持を得られるかどうか疑問です。女性が敵に回る危険もあります。むしろ「就職」問題として一般化して、女性の支持を得る方が得策でしょう。

そして、

・いわゆる「デートレイプ」の実証の問題

 これは、きわめてテクニカルで困難な問題提起とも言えます。個別具体的に状況は異なりますから、その一般化はきわめて難しい問題をはらみます。こちらから攻めるのはかなりの無理筋です。したがって、

>>だから、国会で強姦罪の法改正が話し合われているタイミングで、法律や制度を
>>変えるためのきっかけになればと、声を上げたのだという。

というのは確かに意義があるのかもしれませんが、新たなえん罪の温床となってはいけませんから、そう簡単に話は通らないでしょう。単なる見世物にされて終わる危険があります。


 本件も、仮に検察審査会が起訴相当や不起訴不当の判断をしたとして、検察官が起訴に踏み切るかどうか疑問です。社会的地位とは別に証拠の点から難しいと思うからです。まして強制起訴になったとしても指定弁護士は苦しいでしょう。

 あえて男性側に社会的制裁を加えたいと望むなら、法制度の改革を大義名分に掲げた刑事事件ではなく、民事で「就職斡旋」についての契約不履行から攻めていく方が有効な手かもしれません。ただし、あまり筋がいいとは言えませんけど。

 もう一度言いますが、本件の場合、性犯罪の法制度にからめても上手くフィットしないと思います。ましてや共謀罪とか政権批判と結びつけると、世間の支持をえられず、同性からもそっぽ向かれる危険があります。

 むしろ、女性の側は、既得権や地位や権力のある男性によるパワーハラスメントセクシャルハラスメントの問題として攻めていった方が効果的でしょう。

 以上、ど素人なりに考えてみた次第です。

試験を統一するのはどうでしょう

 大学入試が「人物本位」なるものに変わるようですが、それってどうなんでしょう。
人物本位って結局はコネとかカネとかイエとか、そんなものになってしまうような気がします。AO入試でアイドルが有名大学に入りやすいのと同じでしょう。政治家がジバン・カンバン・カバンを持った二世三世かテレビで名の知れた芸能人ばかりになって、救いようのないぐらい堕落してしまっている現在、官僚機構によって良くも悪くも国の統治ができているといえるでしょう。その上、大学卒業の信頼性まで揺らいだら、もうこの国は終わりです。

 

 そこで提案です。 大学卒業の資格、高校卒業の資格、中学卒業の資格を全て全国一律にするのはどうでしょうか。

 そして、一定の合格点に達するまでは卒業できないようにします。また、資格試験は何度でもチャレンジでき、一番高いスコアを持ち点とします。それぞれの有効期限を設けるのも悪くありません。すると、次の段階での採用は、そのスコアをもとにすればいいわけです。もちろん早く高得点を取れる人は、繰り上げ進学も可能になります。そして、大学卒業の資格試験は、公務員や教員の採用資格にも適用され、その資格試験合格者の中から公務員が採用される他、各企業もそのスコアを見て採用を決めます。その上で、それぞれが人物本位なる基準を適用すればいいでしょう。独自の採用試験をさらに科しても構いませんが、少なくとも公務員と教員に関してはそれを禁止します。公務員採用試験と教員試験は廃止です。独自基準については、公表を義務づけます。そして、その資格を持っている限り、いつでも公務員になれるし、民間企業と官庁や教職との間を行き来できるようにもします。各大学は それぞれの入学選抜試験を設けても構いませんが、当然どのような基準で選抜するか、採点基準とともに公表しなければならないのは当然です。人物本位なのかかなりマニアックな高度な試験を科すのかなどなど、それぞれの大学の特性が出ると思います。ちなみに、大学卒業資格試験においては、日本語論文以外は全て英語にするというのはいかがでしょう。


 もちろんこれを具体化するのは大変かもしれませんが、現状の制度を前提にただ無償化するだけのような無気力な制度改革では日本は変わらないと思います。今必要なのは、既得権を認めず新たな才能に機会を与えることです。政治家もただの人気投票で馬鹿丸出しの芸能人を選ぶのではなく、まずは卒業資格スコアをどのくらい持っているかを公表した上で、さらに時間をかけたディスカッションを行って政策理念を明確にさせるべきでしょう。街宣車で「お願いしますお願いします」と喚くだけのくだらない選挙はもう必要ありません。このような実力本位であるならば、仮に途中でキャリアが切れても、スコアによって能力がわかりますし、何ならもう一度受け直してキャリアアップすることも出来ます。そうすれば、大学ブランドによる欠陥だらけのシグナリングは不要になります。

いまの大学ってやっぱりいらなくない?

 安倍首相が高等教育の無償化なるものをうちだしました。
 でも、無償化しても大学がアレでは、若者に無駄な時間を過ごさせるだけでしょう。というか、学校への補助なんて一切不要だと思うんです。むしろ文科省の役人が天下りするために補助があるんじゃないですかね。

 はっきり言って、特に文系の大学で何を身につけます? 資格試験を受けるための予備校として大学を使うならまだましですが、何となくかよって何となくバイトしてサークルやって、とにかく就活してって、それだけでしょう。単位は取らないといけないし出席もとられるから講義にはでるけど、内容は聞かず考えずに寝てるか、その後の語学の予習をするかでしょ。真剣に学ぶ学生はごく一部だけですよ。卒業後も有名大学なら大学名が飾りになるけど、そうじゃなければ何の意味もないのでは?

 とはいえ、文系や教養系も研究機関は必要だから、旧帝大をはじめとする一部の国立大とごく一部の私大の大学院と学部は残すとして、あとは放送大学で十分。もちろん短大なんてあっても無意味なので全廃。やってることは効率の悪い専門学校程度なのだから。今でも文系大卒資格は、放送大学で働きながら得られます。全国の通信課程はここに集約すればいい。
 文系や教養系をどうしても学びたい人はまず放送大学で学び、やたら優秀な人やどうしてももっと深く学びたい人が大学院や研究機関に行けばいい。あとはカルチャーセンターで十分。ただし、学問の最高レベルを維持するため、究極のカルチャーセンターであるコレージュ・ド・フランスのような機関をつくるといい。
 MBAをとるためのビジネススクールは経営系の大学院として存在すれば十分で、ロースクールは廃止して構わない。ローは存在自体が無意味(司法試験に通ってないような大学教授がなんちゃって弁護士になってるんで国民は要注意)。あとは資格系なら放送大学とか専門学校とか職業高校に任せれば十分。

 教職課程も無駄なので全廃。大卒資格以上をもっていて、教員資格試験(仮)をとれば十分でしょう。

 理系大学ならまだ存在価値があるので、存続しても意味があるでしょう。でも、再編は必要ですよ。
 まず、医学部、歯学部、薬学部、看護学部は地域ごとの医療システムとの関係から再編が必要でしょう。いまの健康保険制度だと、医療関係者って7割は公務員なんだから、もっと地域医療に密着する形で制度全体を再編成し、医学部なんかもそれに合わせて再編すれば良いのでは?

 その他の理系も再編する必要があるだろうけど、大学院、大学(学部)、高専や理数系高校(工業高校)をきちんと並べて、段階的にレベルアップできるようにするといい。

 すると、高校も普通科高校ばかり作ってないで、かつていっぱいあったように、工業高校、商業高校、農業高校を復活させて、職業教育を施すほうが意味がある。今なら、情報高校を作ってプログラミング技術を徹底的に習得させる方が、普通科高校で古典文法とか漢文なんて無駄なものを無理矢理暗記させられるより、よっぽど本人のためになる。つまり、高校も再編して、8割方の高校を職業訓練高校にすればいい。その中で優秀さを示すものには大学進学の道を開くようにするんです。

 

 したがって、教育の補助は学校に対してではなく、優秀さを示す個人に与えるようにするといいと思います。

 いまはかつて以上に東大崇拝が進行しており、受験偏差値信仰が悪化しているように思います。特に、「高学歴」の意味が変わってきたことからも解ります。
 勿論、東大京大や早慶は昔からブランドでしたし、それぞれ上位の大学に対するコンプレックスはあったでしょう。でも。その一方で、年配の方々は自分の大学に誇りをお持ちのようで、あまり卑屈さはかんじません。まぁ大学に行ったこと自体が高学歴だった時代でしたから。一方、私の接した限りですが、若い世代の方がブランドコンプレックスがかなり強く、中には本当に卑屈になっているとしか思えない言動もみられます。これは社会的な害悪です。

 これからは、どの大学を出たかではなく、どんな奨学金を得たかという「奨学金歴」で判断するといいのではないかと思います。もちろん奨学金にもランクがあり、上位ランクの奨学金を得られたら、好きな大学を選べるようにします。無理に東大に行かなくても、奨学金ブランドで評価されるようにすればいいと思います。

 大学名での評価はシグナリング効果としては不備がありすぎます。文系を例にとりましょう。たとえば、どうしても法律を学びたい人が東大文Ⅰを受けたけど落ち、早慶の法もぎりぎり落ちて、明治の法に合格して進学した場合、この人は今ではMARCHでくくられてしまいます。でも、この人が東大文Ⅲを受けた場合、早慶の別の学部を受けた場合、合格した可能性は十分あり得ます。おそらく明治でも優秀な学生として勉学に励むことでしょう。でも、ブランドはMARCH。

 また、世代間の違いもあります。今の少子化20代でぎりぎり東大に合格した人と、団塊ジュニア40代でMARCHの上位の人とでは、どちらが優秀と言えるでしょうか。世代のボリュームが違います。また、同じ東大でも昭和の東大と平成の東大では全く違うなんて言う人もいるぐらいです。70年代後半から80年代だと、地方の国立大よりも東京の私大を目指しましたし、早慶上智、そして青山や中央の一部の学部に受かった場合、旧帝大の北大や九大を含め地方国立大に受かっても、都内の私大に進学しました。この世代の方々だと、阪大名大は別格としても、それ以外の地方の国立大には関心を示さない方々が結構いるようです。

 現在は、偏差値序列化が進んで大学間の格差がはっきり見える一方で、AO入試が盛んになり優劣をつけにくくなったぶん、逆に大学間のブランド格差を強調するようになったのかもしれません。

 その点、奨学金実績があれば、別に東大ではなくても自分で選んだのだと理解されれば、十分評価されることでしょう。

 なんだか新たな利権を生み出すだけのイヤな予感がしますが、現状の教育制度が今や無意味化している点は放置できません。ですから、現状を前提とした、安倍さんの教育無償化は害悪でしかないといえます。ましてや、憲法に盛り込むことではありません。